親の死に目
こういう記事を見ると毎回後悔してるな-と毎回思う。
こういうのを書くことを批判・否定したいわけではなくて、むしろどういう心境になるのかというのは知っておきたいと思っている。非常にありがたい。
確かに親が死ぬとき、それを止められないこと、例えばがんなどで苦しんでしまう状況だった時、本人が望む形にできただろうかとかそういう意味の悩みとか後悔とかはわかる。それは避けられないし、自分も避けられない道だと思う。
ただ、よくあるのが東京にいる息子・娘が地方にいる親を思う時に「もっと話せばよかった」「どこかに行けばよかった」という悔恨。
東京にいると「何気なく会う」ということが物理的に不可能やし、ちょくちょく帰るといっても月1がいいところ。経済的な負担も小さくはない。
と思った時にやっぱり地方に実家のあるやつは帰るのがベストやし、東京でしかできない仕事なんていうのはアカンなと思う。
(逆も然りで地方だけに収まるのもダメとも思う。今更東京批判をしてる関西人を見ると寒気がする。)
別にマザコン、ファザコンでもないと自認していますが、20数年育ててもらったのであれば、その恩は出来る限り返すべきである。
もしかしたらそれは経済的な部分で返すことがベストなのかも知れない。
おそらく大多数の一般の家庭であればそこを求められることは少ないとしても、例えば一緒に美味い飯を食うとか、新しいことを教えてあげるとか、孫と遊ばせてあげる、ゴルフに一緒に行くというのはほぼ「義務」のような気もする。
東京にいる地方出身者に将来帰るのかと聞くと、ほとんど帰らないという。なんでやねん。
例えば、年間2回(盆・正月)帰ったとして、毎日一緒にメシを食うわけでも無いと思うので1日計算、そうすると親の現年齢から逆算するとあと40回くらいしかメシが食えないとなる。20年の中で約1ヶ月ですよ。1/240。0.4%。それはあまりにも悲しい。
とはいえ、複雑な事情があるのもわかる。嫁と出身地方が違えばそれだけで難しかったりするし。
「地元には仕事が無いから」とかの理由も大きいと思う。
今の環境に満足しているからこそ帰るに帰れず(帰らず)、わざわざ転職してまで・・というのも理解できる道理。普通はね。
昨今の保育園問題にも関わる話と思いますが、やっぱり東京一極集中というのはこういうところにも弊害がでる。核家族化、少子化。昔は農家だろうがなんだろうが、地方にちゃんと仕事があったんだわ。幼心にもうろ覚えのバブル期からおかしくなっている気がする。地方復権は重要。はよ京都にも首都作ればいいのに。
ただ、こういうことを書いて、いくら、どんだけ、毎日、話をしたとしても、いざそういう場面になれば実際には後悔しか出ないんでしょうね。友人が母親を亡くした時、それを確信しました。
信用できるのはスポーツだけ
言い切ってしまうと、なんか根も葉もないような気もしますが・・。
色々エンタメというか、自分が楽しいなと思うものはあるんですが、やっぱりスポーツ見るのってその最高峰やと思うんすよ。いや、EXILEとかBIGBANGもすごいんすけど。
日々努力しまくってしまくって、勝つか負けるか分からない中、外野も色々言う中、メンタルも整えて試合に臨む。調子がいい時もあれば悪い時もあって、一瞬の判断で流れが変わったりする。そこにドラマがある。真似できないんすよ。アスリートの技は。
何より「勝てば天国、負ければ地獄」「自分がやりたいことをやっている」というそのシンプルさがいい。
一定の周期で八百長問題とか騒がれるけど、TVショーとか政治のくだらんデキレースに比べると魅力が違う。
気になるのは最近「外野」が増えた。全てソーシャルツールが原因やけども。
甲子園の連投問題についても、香川の状態についても、松坂の成績についても。出来もしないことをさもドヤ顔で評論する輩が増えた気がする。関西のヤジとかのレベルならいいけど。おもろいし。おもんなくて生産性のないことを長々と語る人が増えたなーと思う。
明日は野球観戦して、明後日はラグビー観戦。
選手にはリスペクトを持って、楽しんでこようと思います。実際は酒を飲みながらやいやい言うのが楽しかったり。
最近は河原で少年野球とかサッカーやってたら足が止まるようになってしまった。
昔も絶対に見に来るわけわからんオッサンおったよなーとか思いながら笑
今後見に行きたいのは相撲かボクシング。格闘技系は見に行きたい。プロレスもおもろそう。
肝心のやる方はというと、全然うまくならないゴルフと痩せない水泳のみになってしまった・・。
ゴルフはいくらやっても痩せないと悟る。
お金稼いで、もう少し投資していいジム行って、ギッチギチのカラダに仕上げたいなー笑
実は将来的に、何らかの形でスポーツビジネスに関わりたいという野望は持っています・・・。
お金=自由
昨日は大阪出張で、思いがけず4,500円のランチをおごっていただいた。
今まで幾度と無く先輩方に奢っていただいたけど、大抵言われることは「俺には返さなくていいから、後輩に奢ってあげろ」という言葉。ありがとうございます。身に沁みております。
お金というのは自分を自由にするツールであり、その定義で行くとお金持ち=自由な人となる。
なので、世間でいう「フリーランス」や「起業家」という肩書だけでは全く自由なものでは無いと思っているし、その肩書だけで貧乏もしくはサラリーマンと変わらない収入ならすごく「不自由な人」だなと思う。「サラリーマンで何千万」という生活のほうがよっぽど自由だし羨ましいと感じてしまう。
(外資生命保険会社P社の昨年のTOP営業は24歳で年収3,000万とのこと。慶応アメフト出身。大手広告からの転職。)
じゃあ、お金持ちってどのくらいかなーと思うと、
- 後輩に自由に奢ってあげられる
- タクシーに自由に乗れる
我ながらすごい安直ですが、これが一番わかりやすいかなと。
どんなもんかなーと思ってた矢先にこんな記事が。
既婚の立場からすれば、交際費削って貯金をもう少し多くすれば、理想とする生活です。
実際、こういう生活ができている人って周囲に5人くらいでしょうか。パッと浮かばん・・。もしかするとやってるのかも知れないけど。(既婚者に限るとぐっと減るなぁ。。)
このブログはこんな言葉で結ばれています。
こうやってみていくと経済力で周りを凌駕する事は難しいかもしれないが、「不自由はしない」のが年収1,000万円なのかもしれない。
うーん、なるほどなぁ。。
ブコメにはこんなコメントも。
実感として都内の年収一千万円より地方で五百万円の方がずっと生活楽に感じるよ。
確かに「六本木」とか「西麻布」に憧れない限り、そっちのほうが楽しいかも知れない。地方でも海外行けば東京より楽しいし。
つーことは、地方+年収1000万 最強説。
自由を掴んでから、やりたいことやるってのが理想的よなー。
誰が変わるんだという話
4月ということで、街には新入社員ぽい人達が溢れ、最寄り駅の学生もうぇーい!うぇーい!と言い始めてます。いい光景ですね。
今日の音楽
今日、iPhoneから流れてきた曲。
古内東子 誰より好きなのに pv - YouTube
サヨナラ/GAO【公式】 - YouTube
篠原涼子 Lady Generation (720p) - YouTube
この先、こういう名曲が作られることはもう無いんやろうなぁと思う。
あたりまえ体操
小保方さんの会見を見た。
思ったことは「もしこれで同情を集めて賛同者が増えたら、森口氏かわいそう。」です。
詳細はよくわからないので、見解は
こういうことなんじゃないかなーと思いますが。(言葉使いなのか、めっちゃ叩かれてるな~。)
なんか、仕事してても思うんですけど、大人になるとみんな「当たり前のこと」しか言わないし、みんなそれぞれ自分のことを正しいと思ってるんですよね。
締め切り過ぎてしまうのも(自分なりの)理由があるし、お金がないのにも(自分なりの)理由がある。浮気にも理由があるし、離婚にもそれぞれの正当な理由がある。新卒も、現場も、マネージャーもみんな正しい。
一番近い立場である嫁との会話でもそれぞれの「当たり前」でつば競り合いになるし。
結局こんな風に「俺も正しい」「私も正しい」となった場合に日々の"写真”とか"録音”とか”メール”とか”数字”とかそういう客観的な証拠がモノを言うと改めて思う。そう考えると裁判の進め方ってすごく参考になりますね。日常生活でも必要やなー。まぁ今回の場合、証拠があるというのに出さないのはどういうわけかと思ってしまいますが。
自分にとっての当たり前は相手にとっては当たり前ではないわけで。「相手の当たり前」を探りながら物事を進めるって大事ですね。その「相手の当たり前」を突き抜けていくのが大変なんすよねー。
うん、当たり前やな。当たり前言い過ぎました。
ブログを書こうと思った理由
ブログ。