べーたばん

32歳、春。

親の死に目

 亡くなった母親に対して思うこと|大下徹朗のアメブロ(現在、部分的に停止中?)

 

こういう記事を見ると毎回後悔してるな-と毎回思う。

 

こういうのを書くことを批判・否定したいわけではなくて、むしろどういう心境になるのかというのは知っておきたいと思っている。非常にありがたい。

 

確かに親が死ぬとき、それを止められないこと、例えばがんなどで苦しんでしまう状況だった時、本人が望む形にできただろうかとかそういう意味の悩みとか後悔とかはわかる。それは避けられないし、自分も避けられない道だと思う。

 

ただ、よくあるのが東京にいる息子・娘が地方にいる親を思う時に「もっと話せばよかった」「どこかに行けばよかった」という悔恨。

 

東京にいると「何気なく会う」ということが物理的に不可能やし、ちょくちょく帰るといっても月1がいいところ。経済的な負担も小さくはない。

 

と思った時にやっぱり地方に実家のあるやつは帰るのがベストやし、東京でしかできない仕事なんていうのはアカンなと思う。

(逆も然りで地方だけに収まるのもダメとも思う。今更東京批判をしてる関西人を見ると寒気がする。)

 

別にマザコンファザコンでもないと自認していますが、20数年育ててもらったのであれば、その恩は出来る限り返すべきである。

 

もしかしたらそれは経済的な部分で返すことがベストなのかも知れない。

おそらく大多数の一般の家庭であればそこを求められることは少ないとしても、例えば一緒に美味い飯を食うとか、新しいことを教えてあげるとか、孫と遊ばせてあげる、ゴルフに一緒に行くというのはほぼ「義務」のような気もする。

 

東京にいる地方出身者に将来帰るのかと聞くと、ほとんど帰らないという。なんでやねん。

 

例えば、年間2回(盆・正月)帰ったとして、毎日一緒にメシを食うわけでも無いと思うので1日計算、そうすると親の現年齢から逆算するとあと40回くらいしかメシが食えないとなる。20年の中で約1ヶ月ですよ。1/240。0.4%。それはあまりにも悲しい。

 

とはいえ、複雑な事情があるのもわかる。嫁と出身地方が違えばそれだけで難しかったりするし。

「地元には仕事が無いから」とかの理由も大きいと思う。

今の環境に満足しているからこそ帰るに帰れず(帰らず)、わざわざ転職してまで・・というのも理解できる道理。普通はね。

 

昨今の保育園問題にも関わる話と思いますが、やっぱり東京一極集中というのはこういうところにも弊害がでる。核家族化、少子化。昔は農家だろうがなんだろうが、地方にちゃんと仕事があったんだわ。幼心にもうろ覚えのバブル期からおかしくなっている気がする。地方復権は重要。はよ京都にも首都作ればいいのに。

 

ただ、こういうことを書いて、いくら、どんだけ、毎日、話をしたとしても、いざそういう場面になれば実際には後悔しか出ないんでしょうね。友人が母親を亡くした時、それを確信しました。